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民間企業を経験した後に、周防大島町役場へ転職された高田さんに、ご経歴やお仕事についてお伺いいたしました。

民間企業を経験した後に、周防大島町役場へ転職された高田さんに、ご経歴やお仕事についてお伺いいたしました。

ーご経歴をお伺いいたします。

高田:大学を卒業して金融機関へ勤め、4年勤めてから周防大島町役場に転職した流れです。かなり忙しくハードな環境で、精一杯頑張ってはいたのですが、心身ともに限界を感じ、一度キャリア的にもリセットして新たな環境へ移ろうと考えて、思い切って転職しました!

ーなぜ周防大島町だったのですか?

高田:4歳までは周防大島町で過ごしていましたし、祖母が住んでいて、子どもの頃から何度も行っていたのでルーツがあったんです。あとは、規模感としては大きすぎない自治体のほうが、地域の個性が色濃く出ており、住民の方々との距離も近いことで関係性を築きやすく、やりがいが感じられるのではないかと思いました。

ーでは、入庁してからはどのような部署を経験されたのですか?

高田:今年度で入庁して8年目になりますが、まず水道課で3年経験し、福祉課へ異動して4年、今年度から政策企画課に勤めています。

初任の水道課では、行政独特の単語や水道の業界用語のような職場で飛び交う「言葉」がわからず、パッキン(蛇口や配管の接続部分に取り付けられている部品)も「金髪」のことかなと思ったくらいです(笑)。

そのくらい本当にゼロからのスタートだったのでOJTで先輩方から1つずつ教えてもらいました。

同じ仕事を地区割りで担当している方が他に3名いましたので、どんなことでも逐一聞ける環境だったのは非常にありがたかったです。

また、ちょうど水道課が会計形式を変更した初年度であったため、伝票や決算のマニュアル作成、それらに関連する業務を主体的に行いました。このことに関しては、ベテランの職員の方々も手探り状態であったため、むしろ自分が主導してやっていった形です。

ー金融機関時代で経験されていた業務だったのですか?

高田:いえ、金融機関時代は決算書を読むことはあっても、1から作成することはありませんでしたので、自分で学びました。その際に、まずは勘定科目の流れと、それがどう決算書に集約されるのかという流れを的確に掴めるようになることがスタートラインだと考え、手始めに簿記3級の資格をとりました。

というのも、新採用の職員は、まずは教えてもらうということがメインになってしまうと思うのですが、教えてもらうばかりで、自分からの価値還元がない状況では、今後の関係値がうまく作れないと思い、何かしらの形で自分が課や他の職員の役に立てることをつくり、自分に少しでも付加価値を付けたかったんです。

「誰かに必要とされる人間であるために」ということが、自分が仕事をするうえで最も重要な価値観なので、まずは所属する水道課の職員の方々に必要とされ、信頼される職員になることを目指しました。

ーそれはすごいですね!では、福祉課はどんな仕事だったのですか?

高田:ちょうどコロナ禍に入ったタイミングで児童福祉担当として福祉課へ異動しました。その後は、障害福祉や社会福祉なども兼任で担当していました。児童福祉時代はコロナ関連の給付金に始まり、児童手当や児童クラブ関連業務が主で、障害福祉・社会福祉業務では、障害福祉業務全般や遺族会や弔慰金関連の業務等を行いました。

福祉課は事務が多い印象でしたが、外出は非常に多く、出張が年間70回もありました。

コロナ禍という緊急事態での異動でしたので、配属当初は順序だててルーティンワークを覚えていくというよりは、突発的業務や現場対応をとにかくこなしていき仕事を覚えていきました。そうやって学んでいけたことも大いにありますね。

ー福祉課で学んだ教訓はなんですか?

高田:「人に期待しない」ということです。この言葉を額面通りに受け取ると、かなり冷たく聞こえますが、真意は「すべては自分次第だ」ということです。

福祉の仕事では、別の関係機関が動かない、だから物事が進まない、という状況はよくありました。ただ、その状況に甘んじていては、いつまでも福祉は前に進みません。

なので、福祉を前に進めるために、まずは小さくても自分ができることを1個ずつ積み上げていくことを続けました。そうすると、小さな変化や熱意に気づいてくれる誰かが力を貸してくれたり、今まで動かなかった関係機関に変化が起きて、福祉が動き出すということが何度もありました。このような経験の中で生まれたのが、この教訓です。

自分ひとりができることは小さく、限界があるので、関係各所と連携する必要は必ずありますが、まずは自分が熱意を持って行動することで、そこから誰かと有機的につながることが重要だと学びました。もちろん、これは今振り返ると水道課や他の課でも同じだと思っています。

ー民間企業と公務員では、それぞれ仕事のやり方ややりがいなどで、どのような違いがあると感じますか?

高田:自分の経験した民間企業1社だけでの比較ではありますが、何を重要視するのか、仕事をする上での価値観の真ん中に置くものが違うように思います。

民間企業時代は真ん中に置くのが「自分」であり、積み上げていった数字や成果をしっかりとアピールして、それをどう自分の評価につなげていくのかが重要でした。自分をどう魅せ、ブランディングしていくのかを考え、そこで得られる評価がやりがいにもつながっていったと思います。

ただ、公務員の場合は、全体の奉仕者であるという言葉もある通り、「他者」が真ん中に置かれています。他者のために仕事をしており、「誰かに必要とされる人間でありたい」という自分の価値観ともマッチしているため、公務員の仕事にはとてもやりがいを感じています。

私にとって、役場の仕事は一言でいうと「地域づくり」です。そして、各課や係の名前は、その切口を表しており、それぞれの切口から地域づくりを行っています。例えば仕事をしている中で、住民の方々から「ありがとう」と感謝される瞬間は非常に嬉しいですしやりがいを感じますが、それは、地域づくりに貢献できて住民の方々に価値還元できていることの実感を「ありがとう」の言葉から得られているからなのではと考えています。

ーそれでは役場に入って働き方や雰囲気、文化の違いも感じましたか?

高田:積極的に先輩のほうから教えてくれるということに非常に驚きました。「この業務はやったことないと思うから教えておくね」と上司から声をかけていただけることも多く、こちらから質問をする際にも快く答えてくださります。

民間企業時代は、時間に追われてピリピリした雰囲気や、上司の時間を奪ってしまうので気軽に質問できない空気感がありましたので、それに比べると役場は庁内の雰囲気も穏やかだと思います。

あとは、職員の方々と仕事上でもプライベートでも、自然ともっとこうすれば役場や町が良くなるんじゃないか、楽しくなるんじゃないかといった話が出ます。そういう未来の話をする空気感がある役場だと感じています。

ーそれはすごく良い文化ですね!最後になにか、伝えたいメッセージがあればお伝えいただけますか?

高田:実は、周防大島町は人口1万人以上の自治体で最も高齢化が進んでいる町です。でも、だからこそ、まだまだ可能性があり、これからやれることも多い町だと私は思っています。

周防大島町は山口県のみかん生産量の80%を担う生産地なのですが、みかんはもともとあったものではなく、先人の農家の方々が家族を守るために田んぼなどの土地をみかん農地に変えていったんです。

みかんは、周防大島町のチャレンジの象徴だと思っているのですが、このみかんが欧米の超有名ブランドとコラボレーションしそうになったこともありました。

実は私が、オレンジのコーポレートカラーを持つ同社のものづくりに周防大島町のみかんとつながる点があるのではと感じ、直接パリの本社に手紙を書いて送ったんですね。もちろん反応なんてあるはず無いと思っていたのですが、その手紙をきっかけに日本法人から連絡をいただき、色々と話を進めていったんです。

最終的には破談になってしまったので失敗談ではあるのですが、自分としてはまだまだ戦える、世界に発信できる魅力をもった町だと確信する象徴的な体験でした。このことから、我々自治体職員が熱意を持って仕事をすれば未来は必ず拓けると思っています。

だからこそ、一緒に働く職員の方とは、是非そうやって新たな挑戦を、一緒に、一生懸命にできればと思っております。

ーありがとうございました!

この記事は2024年5月10日にパブリックコネクトに掲載された記事です。

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