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「歴史のチカラで日出町・日出町民の誇りや魅力を育む!!」 小さな町で文化財保護に携わる職員の日々

日出町教育委員会で文化財の保護に携わる中尾征司さん。その専門のお仕事の日々や、文化財に賭ける思いを語っていただきました。

—ご経歴を教えてください。

中尾:私はもともと山口生まれの福岡育ちで、高校卒業後に大学進学のため大分へやってきました。日本史の考古学を学び、埋蔵文化財の仕事を志しつつ縁あって日出町役場に入庁、事務職採用ながら教育委員会で文化財保護の業務に就くことができました。

当時、世の中は就職氷河期で、文化財職も超氷河期だったと記憶しています。ゆえに採用が決まった時は、ほんとうにうれしかったですね。これから先こんな喜びが幾度あるものかと。ですが、文化財に向き合う日々は、職責の重圧に苛まれつつ不安や緊張の連続で、気づけば在職20年を迎えていました。

—どのようなお仕事なのですか?

中尾:一言には「今日に受け継がれる文化財を守り伝えていく仕事」です。…といっても文化財の種類や生まれ育った時代は様々です。日出町には指定・登録文化財が44件あり、未指定・未登録のままの文化財も数多くあります。

そうした文化財を一つひとつ、調査・研究を通じて保護すべき価値を創出し、また、これを損なうことのないよう維持や修復、養生に努めています。その取り組みや成果は、報告書などの書籍にまとめて公表したり、講座・講演会などを催すなど、周知啓発にも努めています。

そしてもう1つ、平成28年1月に歴史資料館・帆足萬里記念館が開館し、郷土資料の収集保存や展示の企画運営などにも携わっています。

—同じ仕事仲間はいますか?

中尾:日出町教育委員会には私のほか、文化財業務に携わる専門職員が3名在籍しています。

日本史・考古学専攻の私と東洋史・文献史学専攻の職員1名で文化財業務に、資料館・記念館では日本近世史・文献史学専攻の館長、日本中世史・文献史学専攻の職員1名が学芸業務に従事しています。

業界をリードしてこられた大先輩、大学時代の同期、志を引き継ぐ後輩と、数年、十数年、数十年来の同志であるとともに、調査・研究に鎬を削るライバルでもあります。お互いに業務をフォローし合いながら、時に賑やかに、時に厳しく、議論を絶やさず、まさに総力戦の毎日です。

—このお仕事ならではのやりがいを教えてください。

中尾:受け継がれてきた文化財を次の世代につなぐその職責にやりがいを強く感じます。「歴史と伝統を受け継ぐ」「文化財を守り伝える」、誰もが大切、必要なことと理解されるかと思いますが、その日々はというと理想と現実の狭間で苦難の連続です。

しかし、苦難は避けたい…と思いつつも、道のりが険しいほどに不思議と気力がみなぎってきます。そうして調査・研究、修復・養生と手がけてきた文化財が、指定文化財として保護され、また、寄贈や寄託により収集保存がなされ、そして町民その他多くの人々に享受されるに至った時は、この上ない歓喜…というよりかはホッとしますね。

また、文化財業務の日々はあらゆる分野の専門家の方々と交流しますので、とにかく「学び」と「発見」の連続です。どれだけ学び得ても物足りませんし、文化財にひとたび、ふたたび、みたび向き合うたびに発見があり、学び飽きることがありません。

そして何よりもこの仕事は、ホンモノの文化財に触れます。ひも解くナマの歴史は時に、日本史上の時代や社会の画期や転換期に通じ、コトの真実や舞台裏を垣間見ることもあります。この仕事ならではの貴重な体験…というより、積み上げていくべき経験値、キャリアですね。

—逆にプレッシャーを感じることは?

中尾:「文化財は一度失われると二度と取り戻すことはできない、かけがえのない財産」。キャッチフレーズのようによく耳にし、また、口にします。「失われた文化財は、その姿・形は取り戻せても、本質・固有の価値は取り戻せない」と理解していますが、判断や見通しを誤れば文化財の損失という取り返しのつかない事態となります。そうした危機意識や緊張感は常ですし、「あの時の判断は…?」「あの時なぜ…?」「今の自分であれば…?」と自問する毎日です。

また、文化財業務は50年、100年先も在り続けることを見据えています。ということは、50年、100年先の業界人や郷土史家、そして住民が私の仕事ぶりを評価すると思います。私はこの世を去っているでしょうが、訪れたその時、「いい仕事しましたね」と言ってもらえることを切に願いつつ、「これでいいのか?」「このままでは…?」と不安や焦りに苛まれます。

—「日出町の魅力」を教えてください。

中尾:日出町は小さくもその歴史はじつに多様で、先史から近代のそれぞれの時代に大分、九州、時に日本の歴史を特徴づける様々な文化財が所在します。郷土の歴史・文化財は唯一無二の地域資源であり、欲して得られるようなものではありません。「日出町は観光の町ではない」という声を耳にしますが、歴史・文化財に恵まれた日出町のポテンシャルはとても高いです。

そうした中で入庁以来惹かれ続けてきたのが「別府湾の眺望」です。日出町に暮らす人々にとっては日常の景色かもしれませんが、私は他のどこよりも日出町からの眺望が最も美しいと自負しています。

こだわりは文化財より望む別府湾の眺望で、一押しは鹿鳴越連山東端の「城山」の頂、中世の山城「真嶽城址」からの眺望で、波穏やかな湖を彷彿とさせます。麓の「日出城址」からの眺望も、庭池の畔に立つかのようです。いずれも言葉で表現できない一大パノラマですが、ただ美しいだけではありません。

文化財が営まれた時代や先人のまなざしをフィルターに、その歴史の一場面が壮大なスケールで浮かび上がってきます。歴史と自然に育まれてきたこの「別府湾の眺望」、湾岸市町村と手を携えて守り伝えていくべき財産です。

—これから取り組みたいことはありますか?

中尾:日出町は行政上、6つの地区に分けられています。それぞれ昭和の大合併以前の旧6町村、いわゆる南端村、豊岡町・日出町・藤原村・川崎村・大神村の範囲に概ね同じです。日出町の歴史もじつは6地区それぞれに特色があり、地区民の受け止め方も一様ではありません。私はそこに、旧町村時代より受け継がれてきた「誇り」「アイデンティティ」を感じます。

日出町の振興、活性化が求められる昨今、私は地区が活きてこそ日出町が活きると考えています。私の職務・職責としては、唯一無二の地域資源である歴史・文化財を通じ、地区それぞれのポテンシャルを引き出すこと。具体的には、町内6地区に要となる歴史をひも解き、核となる文化財を創出することです。日々、誇りや魅力を育むべく地道に取り組んでいますが、手ごたえを感じつつもまだまだ道半ばです。

—最後にこのお仕事を志す人たちへのメッセージを。

中尾:~学ぶ姿勢を大切にする~
文化財はじつに多種多様です。その保護に必要なノウハウはそれぞれありますが、実行マニュアルは経験則に依るところが大きいと感じます。文化財業務はスタートを切れば即時判断の連続で、誤れば損失の事態になりかねません。ゆえに業務の心構えとしては、受動的に「教わる」姿勢でなく、能動的に「学ぶ」姿勢が大切で、現地・現場を大事にしてほしいと思います。

~文化財の所有者・管理者に寄り添う~
この仕事は今日に受け継がれる文化財があってこそ成り立ちます。敬意をもって真摯に向き合うべきです。文化財の所有者や管理者は日々、苦心して保存継承のための維持に努めています。日出町も様々な文化財を所有し、それぞれ気遣いながら維持管理に駆け廻る日々です。文化財を守り伝えることを身をもって理解し、所有者や管理者に寄り添ってほしいと思います。

~職場や業界の仲間を重んじる~
文化財保護の業務は専門の職員が主体となりますが、所属する部署や職員の理解と支援の上に成り立ち、庁内の関係する部署の連携・協力を得てこそ成し遂げられます。立場も違えば相対することも多いですが、大切な職場仲間です。専門業務もまた、県内外の文化財行政機関の先輩や同僚、後輩に支えられることが多く、行政間の横断的なネットワークの輪も大切です。

~公務としてのまなざしを養い、郷土愛を育む~
公務員として文化財保護の業務に携わる以上、専門業務であっても全て公務です。一般の行政職員同様、公務員としての服務や倫理の遵守、公平かつ公正、中立の立場での執務が求められます。まずもってその土地の歴史・文化財を広く俯瞰するまなざしを養い、自らの専門・専攻にこだわらず、むしろ培ってきたそのキャリアを活かし、郷土愛を育んでほしいです。

—本日はありがとうございました。

この記事は2024年6月15日にパブリックコネクトに掲載された記事です。
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