見出し画像

神社再建、絵本の制作、ブランド構築、声優・作曲家とのコラボ、職域を超えて活躍する丹波山村での働き方

山梨県丹波山村に就職された寺崎 美紅さんに、山梨県丹波山村での働き方と暮らしについてお伺いしました。

—丹波山村に就職するまでのご経歴を教えてください

寺崎:大学卒業後、丹波山村に就職しました。大学では、山岳信仰という山の宗教文化や民俗文化を学んでいましたので、それを活かせるような山の仕事をしたいと考えていました。

そうした中、趣味の登山で知り合った仲間が丹波山村の方と知り合いだったことをきっかけに、丹波山村の職員を紹介していただき、選考を受けたらそれが地域おこし協力隊でありそのまま移住したという経緯です。

—初めに就いた職種を教えてください

寺崎:2016年に就職したのですが、その翌年の2017年に標高2017メートルの雲取山にちなんだ山を盛り上げるイベントが予定されていたため、それに向けた観光関係の職種に就きました。

—山の仕事をしたい、という思いを具体的に教えてください。

寺崎:山の文化を大学で学んでいたため、山に関する仕事と言っても登山スタッフや山小屋などの形のある仕事ではなく、信仰文化などの目に見えないものについても興味を持ってもらえるような企画や観光と文化をつなげるような仕事をしたいと思っていました。

—丹波山村以外の市町村への就職は考えましたか。

寺崎:他は考えませんでした。就活期間中にもあまり積極的に活動を行っていたわけではなく、どうしようかと思い悩んでいたときに、趣味として続けていた登山仲間に紹介されたのが丹波山村だったということになります。

—丹波山村に行ったことはありましたか。

寺崎:実は丹波山村には家族で温泉に来たことがある、ということは後に判明したのですが、小さい頃の話ですので、来たことがあるという認識はありませんでした。

—最初の仕事を教えてください。2017年のイベントに向けた動きがメインでしたか。

寺崎:雲取山を盛り上げるイベント以外に、七ツ石神社の再建に取り組みました。大学生のころに七ツ石神社に出会い、気になって毎月1回は来ていたのですが、その七ツ石神社が丹波山村の敷地内にあることを知り、せっかくなので何かできないかと考えました。

当初は、何をするにも予算の規模を把握しておらず、神社への車道もなく登山で3時間かかる場所なので建て直しまでは考えておりませんでした。母校が神社に強いので、母校にも修繕のことを話にいき、そこで紹介された宮大工に相談したところ、「せっかくなら」ということで色々提案もいただき、予算も通ったので建物の建て直しをすることになりました。

ヘリコプターの作業を1日で行うなどの縛りもあったので、関連する会社で集まって計画をたてて他の工夫もしてと、かなり大掛かりのプロジェクトでしたね。

結果として、1年目に調査、2年目で人とのつながりを作って解体作業が始まり、3年目で実際に工事も行うと、地域おこし協力隊の3年任期でちょうど再建までを完了させたという形です。

—3年間の任務を経て、別の仕事に就くことは考えなかったですか。

寺崎:なかったですね。なので、集落支援員として引き続き丹波山村に残りました。今は学芸員の仕事をメインとしながらも、観光関係の企画も行っています。

七ツ石神社については、建て直しは行いましたが、その後の管理や活用をどうするかという課題が残っていました。実際にいたずらの被害にもあったので、パトロールをどうするとか、次につなげるための整備を行う必要がありました。

山を登った人にしか神社は見られないので、再建だけで終わりだと知っている人だけが知っていて、そこにあるだけでまた廃れてしまうかもしれない。だから、根付かせるまでは自分がやらなければ、という思いがありました。

—どんなことをしたのですか。

寺崎:七ツ石神社の再建のストーリーを基盤にしたプロジェクトを展開するための、「Wolfship Design」というブランドを最初に作りました。丹波山村には狼・狼信仰の文化があるのですが、ただキャラクターとしての狼の商品をつくるのではなく、ブランド化をしたんです。その中で甲州印伝(鹿革を原材料とする工芸品)という山梨県の特産品とのコラボレーションを発案し、七ツ石神社の可愛らしい狛犬型の狼をデザインした印伝を作りました。

—絵本製作もされたと伺いましたが、その経緯を教えてください。

寺崎:当初は、他のことをテーマにした絵本を作るプロジェクトが進んでいたのですが、担当する人がいなかったため、急遽私のところに「絵本を作らないか?」という話がきました。そこから1年間くらいをかけて、七ツ石神社の再建をモチーフにしたストーリーで絵本を作ることになりました。

企画・ストーリーは自身で担当し、絵については移住した時からお世話になっている画家さんにお願いしました。

ー自分でストーリーを作ったんですね。

寺崎:はい、文章は好きで趣味でたまに書いてはいたんですけれども、絵本をつくるのは初めてで、最初につくったときは本当に無難なストーリーにしようとしていました。

ただ、母が結構絵本が好きな人で、最初のストーリーを見せたら「本当に面白いと思ってるの?」「売ってたら欲しいの?」と言われまして。「確かに欲しくはないか」と思って、絵本の魅力を最大限に引き出すため、登場人物については人間を最小限にとどめて、狼を前面に打ち出したストーリーに変えて作りました。

—絵本のPR活動はどのように行いましたか。

寺崎:一から自分たちで作ったため販路もなく、自分たちでイベントに行って販売をしたり、置いてもらえる場所を探したりしていました。そのため、知ってもらう機会を作る必要があったので、世界観を共有できそうなアーティストとコラボしてPRすることを考えました。

1つは絵本自体の朗読をしてもらう企画です。朗読する方には、イメージカラーがブランドと同じ青であること、声の雰囲気があっていること、世界観を大事にしていること、若い層からの認知度があることから、声優の雨宮天さんにお願いしました。また、雨宮さんはアイドルマスターという作品で絵本に縁あるキャラクターの役もされていたため、そこに気づくファン層にも届くのではないかと思いました。

ー雨宮さんだと、絵本だけではなく丹波山村の観光動画も出演されていますよね。

寺崎:はい、そちらも絵本とは違う仕事だったのですが、丹波山村に興味を持っていただき、そのご縁で出演いただきました。

ーすごいですね!あとは東方Projectの開発や楽曲制作で有名なZUNさんに曲づくりもしていただいたんですよね?

寺崎:絵本をイメージした曲づくりをお願いしました。東方Projectなどの作品で、地方の伝説を引用するなど世界観を大事にしていることから、ZUNさんのファン層にも絵本のストーリーは確実に刺さると思ったんです。

ーどうやってそんな人気クリエイターへの依頼を実現されているのですか?

寺崎:普通に公式の問い合わせ先から連絡しています。ただ、なぜこのストーリーか、その方・作品にお願いするのかという点と村の背景などは必ず伝えており、その点に共感いただいていることもあります。

戦略的にやっているというよりかは、どうしたら面白いだろうということを毎回考えて決めていった結果です。

ー観光系の他の案件でのコラボもされていますよね。メディアミックス作品の「アイドルマスター Side M」と丹波山村のコラボについても担当をされていたとお聞きしました。

寺崎:はい、それは丁度企業側でコラボの募集をしているタイミングだったので、応募して実現した形ですね。

これも、この作品が、出てくるキャラクターがアイドルになる前にそれぞれの前職があるという設定で、その点と丹波山村へ移住してくる方や地域おこし協力隊などの方々もいろんな経歴を持って丹波山村に来られているという点と親和性があるなと思ったんですね。

だからこそ元々この作品に思い入れがある層も、親近感を丹波山村に感じてくれるのではと思って実施しました。

—移住生活について教えてください。

寺崎:初めての一人暮らしで、村ならではの儀式とかがあるのではないかと初めは不安に思っていたのですが、当然そんなことはなく、とにかく静かでよく眠れたという印象です。

それまでに住んでいた実家も、近くに駅がないような地域に住んでいましたので、不便さもあまり感じませんでした。最初の3年間はバイクで移動していましたし、近隣の方が食べ物を差し入れてくれたり家に招待してくれたりもしたので、生活に困るようなこともなかったです。

—丹波山村は狩猟をされている方が多いようですが、寺崎さんはいかがでしょうか。

寺崎:移住したころから狩猟には興味を持っていたのですが、興味があることを色々な人に話をしていたら、いつの間にかやることが決まっていて、資料も一式揃えられていました。その流れで試験を受けに行って無事合格し、銃の所持許可を取って狩猟を始めることになったんです。

実際、狩猟のチームに入って、猟期の間は毎週日曜日に狩猟に行っています。狩猟の文化や獣と対峙したときの心境は経験しないと得られないものなので、将来何か書き物をするときにも活かせると思います。そういう意味では、実益を兼ねた一石二鳥の趣味です。

—本日はありがとうございました。

この記事は2023年11月22日にパブリックコネクトに掲載された記事です。

丹波山村役場の採用情報はこちら